大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

前橋地方裁判所 平成8年(行ウ)10号 判決 1998年7月17日

東京都目黒区中目黒三丁目二〇番九号

原告

井上和代

右訴訟代理人弁護士

服部邦彦

花﨑浜子

群馬県館林市仲町一一番一二号

被告

館林税務署長 加茂晟一

右指定代理人

田中芳樹

赤池昭光

立花宣男

山畑昌子

吉田修

瀧野嘉昭

筒井清治

春日明彦

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

1  被告が原告に対し平成五年九月三日付けでなした昭和六三年三月一六日相続開始に係る相続税三四八万七〇〇〇円の決定処分及び無申告加算税五二万二〇〇〇円の賦課決定処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

第二事案の概要

本件は、原告が、被告に対し、別紙物件目録記載一ないし三の不動産(以下、これらの不動産を併せて「本件不動産」という。)は当初から自己の固有財産に属していたもので、被相続人田口トヨ(以下「トヨ」という。)の死亡により相続したものではないとして、被告がした相続税の決定処分(以下「本件相続税決定処分」という。)及び無申告加算税の賦課決定処分(以下「本件無申告加算税賦課決定処分」と、本件相続税決定処分と合わせて、「本件課税処分」という。)の取消しを求めている事案である。

一  争いのない事実

1  原告の身分関係等

(一) 原告は、田口千代松(以下「千代松」という。)とトヨ夫妻の二女であり、右夫妻には、原告の他、男三名及び女二名の子供(以下「原告以外の子供達」という。)がいた。

(二) 千代松は、東京都新宿区西大久保一丁目四五五番地の一(現在は、新宿区歌舞伎町二丁目と町名変更)に所在する土地建物(以下「新宿不動産」という。)を所有していたが、昭和三七年八月二四日死亡した。

(三) トヨは、千代松の死亡により、新宿不動産を相続した。

新宿不動産は、昭和四二年九月一二日中銀建物株式会社(以下「中銀建物」という。)に売買された(なお、新宿不動産の土地登記簿上、登記原因日付は同年一一月三〇日売買となっており、売買契約書上建物については、売主であるトヨが滅失登記申請をする旨定められている。乙二、五の2)。

トヨは、昭和四三年七月六日、土地については合田又男が所有し、建物については合田カツコ(以下両名を「合田両名」という。)が所有していた本件不動産について、同日付売買を原因として、所有権移転登記を受けた。

2  トヨの相続

トヨは、昭和六三年三月一六日死亡し、原告及び原告以外の子供達がトヨを相続した(相続人間の遺産分割協議は、現在までなされていない。)。

原告以外の子供達は、トヨの遺産について、各自が法定相続分により相続したものとして、法定申告期限までに相続税の申告をしたが、原告は、現在まで相続税の申告書を被告に提出していない。

3  本件課税処分

被告は、本件不動産につきトヨの遺産であったものと認定して、平成五年九月三日付けで本件課税処分を行い、同月四日、原告にこれを通知した。

4  本件課税処分の根拠・計算

(一) 本件相続税決定処分について

(1) 取得財産の価額 三四一二万一八七三円

本件不動産を含むとした場合のトヨの遺産に係る財産の価額は二億〇四七三万一二四二円であり、原告がトヨの相続により取得した財産の価額は、その法定相続分(六分の一)で右を除した金額である。

(2) 債務及び葬式費用の金額 三〇万六八一〇円

債務及び葬式費用の金額は、原告以外の子供達の申告額一八四万〇八六五円であり、原告分は、その法定相続分で除した金額である。

(3) 課税価額 三三八一万五〇〇〇円

課税価額は、(一)から(二)を控除した金額で国税通則法一一八条(国税の課税標準の端数計算等)一項による千円未満を切り捨てた金額である。

(4) 算出税額 三四八万七〇〇〇円

算出税額は、原告及び原告以外の子供達の課税価格の合計額二億〇二八九万円、右六名の遺産に係る基礎控除額の合計八八〇〇万円から求められた相続税の総額二〇九二万二〇〇〇円を原告の法定相続分六分の一で除した金額である。

(二) 本件無申告加算税賦課決定処分

前記相続税額に国税通則法六六条一項の割合(一〇〇分の一五)を乗ずると五二万二〇〇〇円となる。

5  不服申立て

(一) 原告は、同年一〇月二七日、被告に対し、本件課税処分の取消しを求めて異議申立てをした。しかし、被告は、平成六年二月一〇日、右異議申立てを棄却し、同月一四日、異議決定書の謄本が原告に送達された。

(二) 原告は、同年三月九日、国税不服審判所長に対し、原処分の取消しを求めて審査請求を行った。しかし、国税不服審判所長は、平成八年四月一六日、右審査請求を棄却し、その旨の裁決書謄本が、同月二六日、原告に送達された。

二  本件の争点は、本件不動産がトヨの遺産に属したか否かである。

1  被告の主張

本件不動産は、トヨが合田両名から買い受けたものであり(以下、合田両名からトヨ名義でなされた売買を「本件売買」という。)、トヨの遺産であった。

2  被告の主張に対する原告の反論及び主張

本件不動産は次のとおり、トヨ死亡前から原告の所有に属し、トヨの遺産ではない。

(一) 新宿不動産の共有

千代松の死亡による相続に際し、原告以外の子供達が嫁に出た原告の相続に異議を唱えるなどして、遺産分割協議が進捗しなかった。そこで、子供達の意見の調整をしていたトヨは、原告に対し、原告が千代松の遺産の不動産の取得を諦めれば、トヨが取得する新宿不動産の二分の一を原告に提供することを約束した。その結果、昭和四〇年五月ころ、原告が不動産を取得しないこととして千代松の遺産分割協議が成立し、トヨは新宿不動産を千代松の相続により取得し、同月四日付けにて所有権移転登記を経た。

トヨは、右遺産分割協議が成立すると直ちに、原告に新宿不動産の二分の一の持分を贈与したが、原告以外の子供達の反発を恐れて、登記手続(所有権一部移転登記)をしなかった。

(一) 共有物分割、持分贈与

トヨと原告は、昭和四二年九月、新宿不動産を代金五三〇〇万円で中銀建物に売り渡し、その代金をトヨ名義で三菱信託銀行に預入した(以下「本件預金」という。)。

トヨと原告は、昭和四三年六月、合田両名から本件不動産を代金二七〇〇万円で共同して買い受け、本件預金の一部を払い戻して右代金を支払った。

トヨと原告は、右代金支払いまでに、共有の本件預金と購入した本件不動産につき共有物分割の協議をし、払い戻し後残った本件預金の原告の持分をトヨに移転し、本件不動産のトヨの持分を原告に移転することに合意した(以下「本件共有物分割合意」という。)。

仮に、右分割合意が認められないとしても、右の経緯で、トヨは原告にその頃本件不動産のトヨの持分を贈与した(以下「本件持分贈与」という。)。

本件預金がトヨ名義とされたのは、新宿不動産がトヨ名義であったためであり、本件不動産がトヨ名義とされたのは、本件預金がトヨ名義であったためである。

(三) 本件不動産贈与

仮に、本件不動産をトヨが単独で買い受けたとしても、トヨは、従前の経緯に鑑み、本件不動産を購入した直後、原告に対し、本件不動産を贈与した(以下「本件不動産贈与」という。)。

(四) 時効取得<1>、<2>

(1) 原告は、昭和四三年七月六日(本件売買代金支払日)当時、本件不動産を占有しており、昭和五三年及び昭和六三年の各七月六日経過時、本件不動産を占有していた。

(2) 原告は、右昭和四三年七月六日の時点で、右(一)ないし(三)の経緯から、本件不動産を自己が所有すると信じることにつき無過失であった。

(3) 援用の意思表示

原告は、以下のとおり時効援用の意思表示をした。

<1> 被告に対し、平成九年六月六日の本件第四回口頭弁論期日において

<2> 原告以外の子供達に対し、昭和六三年九月二一日ころ同人らに到達した書面により

<3> 原告以外の子供達に対し、平成九年七月一〇日同人らに到達した書面により

(4) 所有の意思

原告は、トヨと同居はしていたが、本件売買後、本件不動産の登記済権利証を直接自分で保管し、公租公課もトヨ名義ながら全部払い、建物の修繕費や火災保険料も負担してきたものであり、外形的客観的に見て所有の意思がなかったとは言えない。

(五) 時効取得<3>、<4>

(1) 原告は、昭和五一年七月(原告らがトヨを相手方として、本件不動産の所有権が自己らにあることの確認と所有権移転登記手続を求める調停の申立てをした)当時、本件不動産を占有しており、昭和六一年及び平成八年の各七月末日経過時、本件不動産を占有していた。

(2) 原告は、右昭和五一年七月の時点で、右(一)ないし(三)の経緯から、本件不動産を自己が所有すると信じることにつき無過失であった。

(3) 右(四)の(3)、(4)に同じ。

3  原告の主張に対する被告の反論

(一) 原告主張の贈与、共有物分割合意

新宿不動産は、千代松の相続時からトヨの死亡に至るまで、トヨの所有であったもので、原告に持分の贈与がされたことはない。右は、新宿不動産の売主がトヨであり、その代金の受領者も本件預金の名義もいずれもトヨであり、右売却に伴う経費は全てトヨが負担しており、原告がかつてトヨを相手に調停を起こした際も右持分の贈与の主張をしてないこと等の事実から明らかである。

また、本件不動産の買主は、前記のとおりトヨであり、その後本件共有物分割合意、本件持分贈与及び本件不動産贈与がなされた事実も存在しない。この点は、本件不動産の売買契約の買主はトヨであり、その所有名義も終始トヨにあり、また、前記調停において原告は本件不動産について原告と夫の井上重三(以下「重三」という。)のものとするとのトヨとの合意を主張しており、さらに、右調停は結局トヨが原告らの主張を認めずに不調となっていること、原告以外の子供達は本件不動産がトヨの遺産であるとしてその相続分に応じた相続税の申告をしていること等の事実から明らかである。

(二) 時効の援用と課税関係

時効の効果は、時効の援用を停止条件として確定的に生ずるのであるから、実体法上も、税法上も、援用時に所有権を時効取得したと言える。

そうすると、原告は、トヨの生存中本件不動産について時効援用の意思表示をしていないので、相続開始時には、本件不動産は未だトヨの遺産に属していたのであり、原告の時効の援用は本件課税関係には何ら影響を及ぼさない。

仮に、時効の遡及効によって、本件不動産がトヨの遺産から除かれるとしても、本件課税処分後に生じた事情については、更正の請求によってのみ税額の変更が許されるのであり、本件課税処分取消事由とはならない。

(三) 時効援用の意思表示について

(1) 原告は、原告以外の子供達に対し、昭和六三年九月二一日ころ同人らに到達した書面によって、時効援用の意思表示をしたと主張するが、同書面には、単に本件不動産を長年占有してきた旨の事実が述べられているだけで、時効の利益を受ける旨の意思表示、すなわち援用の意思表示はない。

(2) 時効援用の意思表示は、時効により不利益を受ける者に対しなされる必要があるから、平成九年六月六日の本件第四回口頭弁論期日に被告に対しなした援用の意思表示は、援用の効力を生じない。

(四) 所有の意思がないこと

原告は、トヨ所有の本件不動産に同人と同居していたに過ぎず、トヨは、原告の同意を得ずに、娘田口松江(以下「松江」という。)の長男及び長女を引き取り、建物の二階で別世帯を営んでいた。また、原告は、前記調停が不調となった以降も、トヨを相手方として他の法的手段に訴えることもなく、そのまま放置していたし、本件不動産の固定資産税の納税通知書は、原告とトヨが別居するようになった後、館林のトヨの所に送付され、トヨが納付していた。

したがって、原告の占有は外形的・客観的に見てトヨの所有権を排斥して占有ある意思を有していなかったものと解され、所有の意思がなかった。

第三争点に対する判断

一  本件売買の買主、本件共有物分割合意等

1  被告主張の本件売買の買主がトヨであったことは、証拠(甲一の1ないし3、二の1、2、原告本人)及び弁論の全趣旨により認められる、<1>本件売買による所有権移転登記がトヨを所有者としてなされ、これがトヨの死亡まで変更されていないこと、<2>本件売買の代金がトヨ名義の預金口座から支払われていること、<3>トヨも本件売買の後、本件不動産に居住していること等の事実から、特段の事情なき限り推定できる。

2  そこで、右特段の事情の有無及びトヨが本件売買の買主であり本件不動産が同人の所有に属したとしても、その後原告の所有になったとして原告の主張する本件共有分割合意、本件持分贈与及び本件不動産贈与等の存否について検討する。

(一) 原告は、自己が千代松の遺産分割協議の際にトヨに依頼されて譲歩した結果、新宿不動産について、トヨが持分二分の一を原告に贈与したとして、その売却代金を預け入れた本件預金は原告とトヨの共有であり、これを原資としてなされた本件売買は原告とトヨが共同買受人であることを、然らずとも、右経緯の結果本件共有物分割合意等がなされ、本件不動産は原告の所有に帰したこと等前記のとおり主張するとともに、自らこれに沿う供述(甲三一、原告本人)をし、また、原告の主張に沿う証拠として、甲第五号証及び第二一号証を援用する。

(二) 前記争いのない事実に後記括弧内に記載の証拠によれば、以下の事実を認めることができる。

(1) 原告の新宿不動産への転居

千代松は、材木会社を経営し、トヨと群馬県館林市に居住し、原告も同所で養育されたが、原告は、昭和三五年ころ重三と結婚し、都内の五反田駅の近くの公団住宅に世帯を持った。

原告は、昭和三六年ころ、千代松から新宿不動産に住むように言われ、夫重三と共に、新宿不動産に住むことになった。

しかし、千代松は、同年ころ、都内の国立大蔵病院に入院し、脳底動脈硬化症と診断され、以後館林の自宅で療養していた。

(甲一二、三一、乙一、一〇、原告本人)

(2) 千代松の死亡と遺産分割

千代松は、昭和三七年八月二四日死亡した。

千代松の遺産分割についての協議は、千代松の遺言書に従い、長男の田口寿雄(以下「寿雄」という。)の主導で行われた。協議の結果、新宿不動産はトヨが相続し、寿雄は家業の木材業及びそのための館林市の不動産等を、三男の田口文夫(以下「文夫」という。)は居住用不動産等を、長女の松江は鉄工所の土地建物と現金をそれぞれ相続することに決まり、二男の田口正明は生前に不動産を購入してもらっていたため取得せず、原告と三女公代は、右遺言書で、各自五〇万円ずつ現金を取得するとされていたため、不動産を取得せず、現金等を取得した。

トヨは、昭和四〇年五月四日、新宿不動産につき、昭和三七年八月二四日相続を原因とする所有権移転登記を経由し、これは後記中銀建物に売却するまで同人名義のままであった。

(乙五の1、2、九、一〇、原告本人)

(3) 新宿不動産の占有使用状況等

トヨは、千代松の死後暫くの間、寿雄夫婦と館林市に同居し、原告と重三は、従前どおり新宿不動産に居住していたが、昭和三九年ころ、トヨは、寿雄らと喧嘩して、原告らの住む新宿不動産に転居してきた。

(甲三一、原告本人)

(4) 新宿不動産の処分

トヨは、新宿の住環境が悪くなったことから、何処か別の場所に転居することにし、吉村地所株式会社(以下「吉村地所」という。)の仲介により、昭和四二年九月一二日、新宿不動産を中銀建物に代金五三〇〇万三五〇〇円で売買する旨の契約を締結し、手付金五〇〇万円を受領した。同契約書の売主欄はトヨが自らの名を署名して押印し、占有者欄に、重三が署名押印した。

同年一一月三〇日、残代金四八〇〇万三五〇〇円の支払いと土地についての所有権移転登記がされ、代金の内四三〇〇万円が、トヨ名義の本件預金口座に預け入れられた(甲一一の1ないし3)。本件預金は、内三五〇〇万円が同年一二月一日に引き出され、五〇〇万円が同月二九日に、三〇〇万円が昭和四三年三月一日にそれぞれ引き出された。

(甲一一の1ないし3、一三、一四の1、2、乙二、三の1、2、九)

(5) 本件不動産の購入と使用状況

トヨは、吉村地所に仲介を依頼し、その斡旋を受けて、昭和四三年春ころ、本件不動産を合田両名から代金二七〇〇万円で買い受けることに決め、頭金二七〇万円を支払い、昭和四三年七月六日、残代金を支払って、トヨ名義に所有権移転登記を経由した。

トヨは、本件不動産購入後、原告と一緒に本件不動産で暮らし始めたが、翌昭和四四年ころから、本件不動産の二階で、松江の長男等を引き取って、原告らと別世帯を営むようになった。

(甲一の1ないし3、二の1、2、八、一二、三一、乙一)

(6) トヨの転居

やがて、原告とトヨの関係が悪化し、トヨは、昭和五〇年暮れころ、突然、本件不動産を出て館林市の松江の許に行き、松江と生活するようになった。

以後、本件不動産の固定資産税の納税通知書は、館林市のトヨの所に送付され、トヨが税金を納めていた。

トヨが松江の許に行ってから一、二年位したころ、原告は、兄弟の文夫に、トヨと一緒に住んでいる時に本件不動産を貰う話があったので、トヨに話をして欲しいと依頼し、文夫がこの話をトヨに聞くと、トヨは、原告に本件不動産を与えると約束した覚えはないと述べ、逆に、原告に二〇〇〇万円位預けていることを文夫に明かした。

(甲三一、乙九、一〇)

(7) 調停申立て

原告と重三は、昭和五一年七月、トヨを相手方として、渋谷簡易裁判所に、本件不動産の所有権(原告と重三の共有)の確認及びその旨の所有権移転登記手続を求める調停申立てをした。

右申立書には、申立ての事情として、<1>原告らは、昭和三六年ころ、千代松から、同居を懇請され、将来立ち退くときは都内に五〇坪位の土地と新築の家屋を提供すると約束された、<2>千代松は、在世中、原告と重三に、新宿不動産を売却するときは、売却価額の半分は、都内の物件購入に充ててもよいと言っていた、<3>原告らは、千代松の死亡後、新宿不動産が当然売却されるものと思い、特に相続名義について申出をしないでいたため、トヨ名義になってしまったこと等が記載されていた。

トヨは、調停について寿雄に全て任せ、双方の代理人として弁護士が依頼され、交渉されたが、不調に終わった。

(甲一二、乙一、九、一〇)

(8) トヨ死亡後の交渉等

トヨは、昭和六三年三月一六日死亡し、トヨの遺言書は存在しなかった。

そこで、寿雄は、原告以外の兄弟から、遺産分割の内容について一任する旨の了解をとりつけ、遺産分割案を検討した。

寿雄は、原告が本件不動産に居住し、これを取得したいとトヨに申し入れていたことから、同年八月ころ、他の兄弟を呼び集め、原告に遺産の三分の一を与える分割案を打診してみたところ、原告以外からは同意を得られたが、原告からは同意を得られなかった。

同年九月九日ころ、次男以外の相続人が集まり、遺産の半分を原告が取得する案で意見がまとまったが、次男が反対の意見を述べたりなどして、最終的な分割合意には至らなかった。

そこで、その他相続人は、同年九月一六日、各自が法定相続分でトヨを相続したとする相続税の申告書を館林税務署に提出した。

(乙九、一〇、原告本人)

(三) 原告主張に沿う証拠について

(1) まず、新宿不動産につきトヨから二分の一の持分を贈与されたとの原告本人の供述については、これをトヨ名義にした後原告名義としていないこと、その売却も全てトヨ名義で行い、代金の処理もトヨのものとして処理していること及び右原告の供述を裏付ける的確な証拠のないこと(甲五、二一については次の(2)のとおり。)に照らし、原告の供述のみでは右贈与の事実を認めることはできない。

(2) 次に、甲第五号証(三菱信託銀行証券部次長二宮和郎の陳述書)及び甲第二一号証(吉村地所代表者吉村新二郎の陳述書)につき検討する。

ア 右各陳述書には、トヨが新宿不動産を売却して本件不動産を購入するまでの間、トヨ、原告及び重三が、長方形の土地を購入して二つに分割し、一方をトヨ所有の土地とし、他方を原告と重三所有の土地とすることを計画しており、適当な物件が見つからず、計画が実現しなかった旨の記述があり、原告の前記主張に沿う内容となっている。

イ しかし、右事実は、新たに取得した土地をトヨと原告夫妻で二分するとのものに過ぎず、その際のトヨと原告らの法的処理に触れるものでなく、右取得した段階での贈与、資金の貸与、交換等色々な処理も考えられるところであり、右各陳述書の内容から直ちに新宿不動産がトヨと原告の共有であったと推論することもできない。

ウ また、トヨが最終的に本件不動産を選び、それを自己単独名義とした理由について、甲第五号証の中では触れられていないし、甲第二一号証では、原告主張事実と矛盾する内容(「例えば、井上名義にして、万一親子不仲の場合、「親に出て行け」と言われると困るというような話も新しく親と娘(井上和代)の間にあったりして、」)となっているなどし、結局本件不動産はトヨ単独名義とされたこと等既に判示の事実に照らし、右証拠が本件売買の買主がトヨであることの前記推定を妨げるものということはできない。

エ また、右各陳述書の記述並びに原告本人の供述中には、トヨが、本件不動産取得の際に、「私は死んで家を持っていくわけでないから、お金のほうをもらう」と述べたとの部分もある。

しかしながら、トヨが望んで現金を取得したのであれば、新宿不動産の売却代金の残りがどう処理されたかについても、トヨと原告間で明らかになっていてしかるべきところ、原告は、売却代金のうち一〇〇〇万円が差し引かれ、本件預金が四三〇〇万円となった経緯及び本件預金が前記(三)のように全て引き出され、その後どうしたかについても、把握しておらず、また、トヨは、後になって、文夫に、原告に二〇〇〇万円位預けている等と述べていること等からすると、右各陳述書や原告本人の供述部分もにわかに措信しがたい。

3  以上2に判示のとおりであるから、本件売買の買主はトヨであり、本件不動産は、トヨが単独で購入したとの前記認定を妨げる特段の事情を認めることのできる証拠はないこととなり、その後、トヨと原告の合意により、本件不動産が原告所有に帰したとの、本件共有物分割合意、本件持分贈与及び本件不動産贈与については、これを認めることのできる的確な証拠もないと言わざるを得ない。

二  取得時効について

1  原告は、自己が本件不動産を時効取得したことにより、本件不動産は占有開始時(昭和四三年七月六日又は昭和五一年七月)に遡ってトヨの所有物ではなくなるから、本件不動産がトヨの遺産に属するとした本件課税処分は違法であり、取り消されるべきであると主張する。

2  そこで検討するに、抗告訴訟における行政処分の適否の判断は、その行政処分に対する司法判断の事後審査性という基本的性格から、処分時を基準にしてすべきであり(処分時説)、これは、課税処分においても異なることはない。したがって、一定の課税処分がされた後、新たな事情が発生して、課税処分が前提とした法律状態が遡及的に変動・覆滅した場合でも、そのような事由の発生を理由として課税処分の取消しを求めることはできない。

そして、時効の効果としての権利の得喪及び変更は、時効期間の経過により確定的に生ずるのではなく、時効利益享受の意思表示たる援用をまって確定的に効果が生ずるのであるから、原告による本件不動産の時効取得の効果が確定するのは、原告が、本件不動産の所有者であるトヨあるいはトヨの承継人に対して、時効援用の意思表示をした時であり、その効果が時効の起算日に遡るに過ぎない。

よって、原告による本件不動産の時効取得が本件課税処分の取消事由となりうるのは、原告が同処分迄に時効援用の意思表示をした場合に限られる。

3  したがって、原告の主張のうち、<1>原告が、平成九年六月六日の本件第四回口頭弁論期日において、被告に対し、時効援用の意思表示をしたこと、<3>原告が、原告以外の子供達に対し、平成九年七月一〇日到達した書面によって、時効援用の意思表示をしたことを理由とするものは、その余につき判断するまでもなく、いずれも理由がない。

4  原告は、<2>原告以外の子供達に対し、昭和六三年九月二一日ころ到達した書面によって、時効援用の意思表示をしたと主張し、書証(甲四の1、2、一五ないし一八の各1、2)を提出するが、右書証には、「右不動産(本件不動産)は、昭和四三年七月当時、通知人(原告)が自己の所有として購入したものであります。(中略)以来通知人は二〇年余りに亘り、右不動産を自己のものとして占有使用してきているのであります。従って、右不動産は、亡母(トヨ)の遺産ではなく通知人の固有財産でありますから、此の段しかと御通知申し上げると共に、改めて貴殿の御理解を得たく、ここに本通知書を差上げる次第です。」と記載されているところ、右は、原告が本件不動産を購入し、引き続いて占有してきたことを通知しているものに過ぎず、右記載をもって、時効の利益を享受する旨の意思表示と認めることはできないと言わざるを得ない。

他に、原告の右主張を認めるに足りる証拠はない。

5  以上のとおりであるから、原告主張の本件不動産の時効取得の主張は、本件課税処分の違法事由として肯定できない。

三  結論

したがって、本件不動産がトヨの遺産に属するとしてなした本件課税処分は適法であり(国税通則法六六条一項但書きの期限内に申告書提出がなかったことについての正当な理由があったとの点については、主張・立証がない。)、原告の請求はいずれも理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田村洋三 裁判官 舘内比佐志 裁判官 北岡久美子)

物件目録

一 東京都目黒区中目黒三丁目五三〇番一

宅地 三六・八二平方メートル

二 同所同番五

宅地 二三六・一六平方メートル

三 同所同番地五

家屋番号 五三〇番五~一

木造一部鉄筋コンクリート造瓦亜鉛メッキ鋼板交葺二階建

居宅倉庫

床面積一階 一一二・五三平方メートル

二階 九〇・五四平方メートル

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例